No,20 ふるさとプライド… 前進!!! 

国宝・重要文化財等保存修理工事 * 茅葺屋根工事 * 天然スレート葺屋根工事
「有限会社 熊谷産業」 宮城県石巻市北上町

東日本大震災から7年。復旧から復興、そしてさらなる前進。腰の据わった東北の人々は強い。
巨大地震と大津波は石巻の様相を一変させました。市内全域の犠牲者はおよそ4500名、熊谷産業のある北上町も大川小学校で津波にのまれた児童を含め268名の犠牲者が…。
私はこの地を訪れるたびに線香を手向け祈りを捧げます。一切を飲み込まれ、流されたこの集落も復興のステージを上げてきています。
全てを失いながらこの地での復活を目指す決断に躊躇はありませんでした。
『今、自分達が手放したらこの地域だからこそ支えてきた日本の文化が消えてしまう…。日本有数の北上川沿いに広がるヨシ原。天然の堆積岩の上質なスレートとそれを使いこなす熟練の技。日本の自然と文化、受け継がれてきた技に誇りと責任を果たす…。』
~私の知る熊谷社長は熱い人です。
熊谷秋雄社長とたけちゃん
熊谷産業の社屋・作業場外壁は茅を使用しています。
お訪ねするたびに楽しみなのは熊谷貞好会長とのお話です。
『ここには何でもあった。田畑の恵み、太平洋と北上川の恵み、山の恵み。私等はここで生かされて生業を営んできた。うつむいて去るわけにはいかないのよ。』
戦前から戦後、大震災を経て今日まで…。会長の経験した事の重さは計り知れません。
茅葺は消滅の一途を辿り、看板を下ろす決断まで迫られた。 様々な経験を積み新しい観点から社業の将来と自信を持って描いた熊谷秋雄社長にゴーサインを出すのにためらいはありませんでした。日本の親爺の顔です。熊谷貞好会長とたけちゃん

茅葺

私達の子どもの頃は農村には当たり前に見られた茅葺屋根。独特の表情を懐かしく思い出します。いまや取り残されるように命脈を保った白川郷や我ら福島の大内宿。日本の原風景と言われますが、単なるノスタルジーで語るだけではいけません。熊谷さんはヨシの刈取りから翌年に向けての手入れ、施工まで一貫して行う希少な企業です。茅葺屋根の維持には費用も手間もかかります。個人では持ち切れず止む無く姿を変えていく、そんな建物を数多く見てきました。先人は山間部にあってはカヤ場を維持しながら集落全体の「結」の中で技を伝承し、ことあれば総出で作業にあたりました。自然から生まれ、自然に還る負荷の無い循環。わけても人の営み、共同共生の心があります。住空間から文化の原点でもあります。
熊谷さんの志は見習うべきで、私もその技と心が【生きる場】を作りたい…ともに作り上げたいと願っています。
熊谷産業さんは我が福島県では「福島民家園」や「重要文化財旧会津藩滝沢本陣横山家住宅」などでお世話になっています。

スレート葺き

『スレート葺き』と言う言葉は知っていても、石巻市雄勝(おがち)地区が古くからの産地であったことは知る人も少なくなってきました。特に震災以後、原料の粘板岩をスレートに加工する職人がほとんど途絶えてしまい危機的な状況です。子供の頃親しんだ西洋の絵本の屋根の鱗模様はスレート葺きでしょう。近年では復活した東京駅の丸ドーム、これも雄勝のスレート。熊谷さんの技です。

人の心と身体を癒し開放する建物。時に磨かれる建物。私達はいつも心掛けなければなりません。
若いころ世界を駆け回って広めた見聞。そこから生まれた確信…人のつながり。
被災直後、全てを失いながら現金をかき集め、一軒一軒社員を訪ね歩き再起を伝えた熱い漢・熊谷秋雄さん。これからも末永く宜しく!

本格的な春もすぐそこ、相棒A型フォードの復帰も間もなくです!
建物探訪記もギアを上げていきます!

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