No,63   ~ 令和 ~

 『 令 』の原義は善であり、日本語の語感でいう『 うるわしい 』である。
典拠、万葉集「梅の花の歌の序」に太宰府での梅花の宴、
歌を通じて集い心を通じ合わせている様が詠まれ、
それ即ち『 和 』であり、平和への祈りも込められている。

 

考案者であるとされる国文学者・中西進氏は語る。

 

氏の言葉には穏やかにして凛とした説得力があり、
端的に表現する術を持たなくとも日本人の感性が
大方の支持を得た理解につながったように感じます。

 

多くの日本人が三代の元号を生きることになりますが、
記憶に鮮やかな昭和そして平成。
学び取った事柄を昇華させることが出来ているか、
足下を見つめながら進みたいものです。

 

二つの元号のフィナーレとスタートを飾る
『 櫻 』『 桜 』『 さくら 』『 サクラ 』

 

一昨年の9月にこのブログをスタート、
最初に訪れたのが安積高校旧本館。
東日本大震災で大きく傷んだこの国重要文化財の修復工事に携わり、
少年時代の忘れることのない桜の地でもありました。

 

「朝河桜」

朝河貫一(1873~1948)
福島県が生んだ世界的歴史学者(日本人初のエール大学授)
我が国の律令国家から封建時代を経て明治維新、近代国家となる日本を

世界に発信した功績のみにとどまらず、
国際協調と世界平和を希求し
「日露戦争」「満州事変」「太平洋戦争」を冷静に見つめ
その惨禍を避けるための水面下の彼の動きは高邁なものでした。

 

博士の業績・生涯については書籍などに譲りますが、
改元と桜を目の当たりにしながら。

 

母校 安積高校に伝わる「 朝河桜 」の伝説を思い出しました。

 

全科目主席の彼は特に語学の天才でした。
当時の校友会雑誌に外国の論文の翻訳を載せたり、
当時珍しかった外国人お雇い教師-ハリファクスの高給が問題となり、
解雇の動きが県議会に起こると擁護のための建議書を送るなど
地方の少年とは到底思えぬ学識と行動力を示しました。

 

ハリファクスは後に現在の長野県松本深志高校に転じましたが、
1892年3月卒業生総代として答辞に立った彼から流れたのは流麗な英語でした。

 

英国人教師ハリファクスは思わず
「やがて世界はこの人を知るであろう」と感嘆した。

 

天才-朝河は毎日2ページの英和辞書を暗記し、
それを食べてしまい 残った表紙を桜の根元に埋めたと言います。
それが朝河桜の伝説となり、
安積に学んだ者は誰もが知るところとなりました。

 

4月19日の朝日新聞-天声人語に
「視座を見失いがちな現譜代の歴史学者は朝河の視野の広さに学ぶべき。」
これからの国際協調を論ずる上でも

朝河貫一の人物像と業績に光を当てるべきと載り、
新元号の意味とこれからの世の有り様を考えたときに

時宜を得た言葉だと感じました。

 

同じく郷土の偉人である野口英世のポピュラーさに比べれば
対照的に地味な朝河博士。

 

大いに顕彰し学ぶべきと思います。

 

国重要文化財・安積高校旧本館(安積歴史博物館)
朝河桜の今
創立90周年に建立した記念碑

(この春の新入生は135期生)
近年の朝河貫一に関する出版物。
入手困難なものが多く図書館に足をお運び下さい。

 

「令和、最初の建物探訪記。
新元号から母校の生んだ偉大な歴史家と現代。
なぜかそのように思いが走ったのでした。」

 

令和の福島を元気に深掘りしていきます。

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