No,46 郡山を代表とする画家の先生との出会い…

A型フォードのひとり言

北欧への旅…そして九州へとたけちゃんは素晴らしい人との出会いを語ってくれました。
今回はふるさと郡山を代表する画家お二人との出会いについてお話したいそうです。

 

~ 佐藤昭一先生 ~

 

安積高校・東京美術学校卒
戦後前衛美術運動の旗手として旺盛な制作活動に励む。
人間を真摯に見つめ、絵画に対する留まることを知らない探究心が結実した作品は
独特の世界に引き込む。
美術教育者としても全人格を通して多くの人々の敬愛を集め、
郡山の芸術文化の醸成に大きな足跡を残されました。

LABOTTO受付に敬意をこめて掲げられた作品

 

~ 佐藤昭一先生との出会い ~

 

先生の奥様、祇子(まさこ)さんも英語教師として第五中学校に奉職しておられました。
当時の教え子が私の妹。
PTAとしてお付き合いが始まったのは主に母でした。
40年以上も前の事です。

 

~ 先生の建築の対する思い ~

 

1990年代初頭、当時富久山町大原にあった先生のアトリエは暗く寒かった。
御夫妻ともに八山田に新しいアトリエ兼住居を構えたいという希望をお聞きしたのが八光建設の監査役(僕の家内です…)
彼女と先生の出会いは先生が大きな柱役を果たした郡山市立美術館友の会が始まり。
先生は20世紀初頭、
ドイツに設立された美術と建築の総合教育機関バウハウス(Bauhaus)
20世紀のモダニズム建築と美術を牽引したエンジンとして特筆されますが、
先生はここで教鞭をとった画家・美術理論家であったパウル・クレー、
また画業に留まらず建築にも探究心が強く、
彼女に対して建築に対する臨むこととは…と始まった度重なる面談は
延べ5年間にも及び「建築学講義」とも言うべきものだったと振り返ります。

佐藤昭一私邸・アトリエ 

先生の想いとそれにお応えした私達のいわばコラボ作品ともいえる八山田のアトリエ兼住宅。
先生の作品の展示スペースとして市民の皆さんに訪れて頂く日が来るかもしれません。

 

~ 忘れられない安藤重春先生 ~

 

先生は明治45年生れ安積高校(旧制)東京美術学校卒。
兵役をはさみながら復員後、日本画家として東京で活躍。
昭和20年郡山に疎開後そのまま故郷に定住。
創作に励みながら兄 貞重安積国造神社宮司と共に昭和23年安積幼稚園を創設。
幼児教育にも愛と情熱を注いだ。

安積幼稚園の入口

平成15年、創立55周年記念誌に先生は、
「神様とその清浄な森の中でやさしい先生方や皆さんに
のびのび楽しく育てられて五十五年になりました。たのしかったですね。
良い子をそだてることを目的とした私はただそれひとすじに相変わらず進みます。
これからも皆さまのあたたかいご後援を、ずーとおねがいいたします。」
と記されています。

 

  安藤重春画撰「小さい神さま」より

 

~ 感謝 ~

 

佐藤昭一先生との出会い我が家そして我が社との長いお付き合いの中で、
何か肉付けしていただいたような気がします。
八山田のアトリエに移られてからの晩年の作品は
明らかに明るい光に向かっているような新たな変貌を遂げたようだと評されます。
安藤重春先生・・・安積幼稚園昭和38年組の僕はニコニコと優しいじいちゃん先生に
「お絵かき」を習いました。
当時 先生は還暦を過ぎた僕よりお若かった50代前半。
自分が長じて先生の作品や文章に触れた時、
こんなにも慈愛深い眼差しで見ていて下さったのかと暖かい気持ちが湧いてきます。
お二人とも深い思索の上に立った芸術家であり、
何よりその全人格からにじみ出るオーラで人々の心を豊かにし、
教え導いて下さいました。
私にとってそしてふるさと郡山、福島にとって恩人であり父であるのです。
出会った人は素晴らしい!
出会う人も素晴らしい!!

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