No,7 国選定重要伝統的建物群保存地区 会津西街道大内宿 そば処 こめや

会津若松市川原町の長門屋さん父娘に見送られ、下郷町から大内宿こぶしライン、急な峠を越えて大内宿『こめや』さんに向いました。
豊かな実りの秋を予感させる溢れるような田園風景を走り抜け徐々に勾配が急になる峠にさしかかります。

車中ではこんな会話が…。
同行者S:「たけちゃん今日は天気予報がはずっちぇよがったない!雨降らっちゃらこのワイパーではやぐにただねもんない。」
たけちゃん:「いやホントだ。予報は予想でハズレがつきものだワィ。しかも俺ら普段の行いはいぐねほうだいバイ。」
同行者S:「俺は機械のごどはカラ駄目だげっちょも、この車、音も匂いもいぐなってきたナイ。60㎞キロでで巡行問題ねえない!」
たけちゃん:「まったぐそうだない。でももうちぃと走ったらチット止めで休ませっぱい。」
路肩に止めて小休止。 片方は深い崖で雲が湧き上がってくる。
たけちゃん:「水墨画の世界だない。」
同行者S:「老老介護って言葉を思い出したんだけど、車に調子を聞きながら、こんな感じはどうだいって運転する、何だか会話が成立してるだない。」
たけちゃん:「いやまったぐだ。気持ちが通じで調子がよぐなってきたんだない。」

— 大内宿 —
国の保存地区の措定を受けたのが1981年。
研究者の目に留まり、受け継がれてきた宿場町が急に脚光を集めるようになり、保存の声が上がるようになりましたが、1960年代世の中は様々な新しいものが出現し、人は便利さを追求する事に幸福を感じていました。住民の意見も分かれました。心ないマスコミの報道に傷つけられもしました。
【自分達が守り受け継ぐべきものは何か。】【人は何を求めているのか。】【大内宿のこれからの百年の計は。】真剣な、熱い論議が交わされました。IMG_4521吉村徳男さんと…「ご主人!腰、養生してください!」
この地域をリードしたお一人が『こめや』御主人吉村徳男さん。まっすぐで気骨に溢れ、しかも何とも言えぬ暖かいハート。ご縁があって長い事通わせて頂いています。
300年以上続いている吉村家。重厚な深い光をたたえながら、訪れた幾万の人々をどのように見つめているのでしょうか。
5月18日には花蓮ちゃん奏音君の双子のお孫さんも誕生。将来のバトンを受け継ぐ走者も楽しみです。大内宿-こめやこめや全景とおいしいそば
【大内宿の魅力は景観だけではありません!人の魅力ここにあり】です!

≪大内宿一口メモ≫

*景観を守るために
こんな工夫が…電柱・電線を除くため、旧宿場に沿って新たに道路を建設。裏配線を利用する事で、旧街道を無電柱化。
*大内宿結の会
かやぶき屋根の技術伝承活動。助け合い『結の心』を生かします。
*観光客の推移
バブル期からピークの2009年には年間116万人の入れ込み客数が2011年の震災の影響で58万人に半減。近年は80万人に推移している。

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