益子義弘氏(東京藝術大学名誉教授・益子アトリエ)

建築設計

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ー 今回のコラボレーションのきっかけは?
宗像 私が設計事務所に勤めていた時の上司である梅沢さん(※1)が、益子先生の芸大の後輩にあたられて、その縁で接点を作って頂きました。なぜ、私が益子先生にお会いしたかったかという話になると、山形に金山町という所があって、そこにある林の中に建っている火葬場(写真1)を見た時に、私は”この建物を設計された先生に、自分のおうちをつくって欲しい!”と思った。私は常々、自分がハッとさせられる建物っていうのを、お客様にお伝えしたいというのがあるのです。金山町の火葬場は、住宅だ、図書館だって言われても頷けるし、色んな施設に受け入れて頂けるような、奥の深さというものがある。アプローチがすごくきれいですよ。そのころから益子先生には東北の拠点となる仙台で、このおうちをぜひ設計して頂きたいと思っておりました。そういう片思いを、梅沢さんという仲人を通じておつなぎ頂いたっていうのが先生とお会い出来るきっかけでした。

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ー プロポーズされましたか?
益子 そうですね、きっかけは梅沢さん。とても信頼している人で、その梅沢さんからのお話であることと同時に、金山町の火葬場を見てくださっていた。あれは自分の取り組みの中でも大事なもののひとつなんです。あれは住宅ではない特殊な施設だけれど、普段、人の生活を支える住宅に取り組んでいながら、やがては人を送らなければならない。そういう場面についての、何か一回きちんとした真剣な取り組みをしてみたいという意味で取り組んだものなんです。そんなことも含めて、それを見てくださった上でのお誘いだったものですから。

宗像 先生に今回お受け頂いたことで、どのような要求事項を出して、それを具現化して頂くのか?郡山のラボットには肆木の家というおうちがあります。あそこのおうちをつくった時は、高齢のご夫妻が、二人で本当にいい時間を過ごして頂ける様な部分でのオファーを、広瀬先生(※2)にして具現化してもらいました。その時、私は私なりにプランを考えているんですけど、箇条書きで要求するだけ。実は今回もそれと同じです。では、どういう家を私がラボット仙台に想定しているかというと、自分が30 代のクライアントとして、奥さんと子供が2 人、そういう状況に一回戻って、自分はどんな住まい方をしたいかということを考えて、それを書きしたためていったんです。自分達のプライベートがあるけれども、”集うこと”がやはりおうちの楽しさのひとつだと思うし、そういうことに向かって家族と共有する時間が持てる空間を入れていきたい。先生にこんな無理難題を入れながらお願いしていって、これがその時に先生から出てきた模型(写真2)。でも、ほとんど当初のイメージで詳細に至る形にいって、今まで計画が進んできた訳ですよ。ひとつひとつのデザインにおいても、堅苦しくなく、気持ちがふっと入っていける。でも実は、細部まで先生が思ってらっしゃることだけはきっちりと入っている。そこで暮らす人達の状況を浮かべながらつくってもらえた。そして、その先に見える世界というのをつくっていって、それを形にして頂いているのが先生だと思うんですよ。その建物に、より楽しく暮らしていけるような形を入れていって、ご提供させて頂く。それが”LABOTTO”なんです。

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益子 言うまでもなく、一軒の住居をつくるっていう時はそこの具体的な土地を読み、生活を想像し、ひとつの住宅という空間を構想する訳です。今回は、宗像さんをひとつのクライアントとして、その住むイメージを受け止める。でも、目的とするところは、ひとつのモデルハウスという位置づけ。さあ、それが一般化とする上で、どういうあり方があるんだろう。そこに個別性の匂いが強すぎてはいけないだろうし、でも宗像さんというクライアントを基にしながら、その要求や考えとの応答の中から、あるスタンダードが見えてくることがあるかしら?という取り組みでした。僕にとっても実験ですね。それから、もうひとつは、あまり住居が人を強制する場であってはいけない。むしろ、あるいい形の骨格をなんとか探り出して、そこに人が生活していく上で場所を育てていく芽を植えていく。木を植えるようなもんですね。いくつか、生活の場になる芽を植えて、実際はそこで生活する方がそれを育てていく。そんな場所のきっかけが、いい形で出来れば、いいかなっていうのが向かい方ではあります。

宗像 もっと先生とこういう接点でお教え頂きたい部分もあったし、今現場を見て作品を通じ感じさせて頂いてる部分もあります。まず私達がラボットを立ち上げる時から、お客様にもお伝えしていきたいと思ってることが、建築も含めた日本の伝統文化。世界を受け入れるため自分達の日本てなんなの?ていうことを考えるんだけど、段々それが海外のものに侵食されてくる訳ですよ。でも、実際にいま現場が進んだ時に、体感するスケール感ていうのは、まさに、日本の機軸っていうか。軒の、座った時に陽が差してくるその線とかはまさにそれ。ぜひご来場して頂いた多くの方々に感じ取ってもらいたいなと私は思う。海外のお客様を呼んできたら、紛れもなく日本のひとつの家として感じ取ってもらえると思いますよ。

益子 その辺りはすごく大事なことですね。今宗像さんがおっしゃった、”日本の風土に適った、現代の住居や空間てなんだろう?”ていうのはやっぱり見え難く、私も迷い迷いながら探っている一人だと思うんですね。若い学生達と一緒に世界のプリミティブな民家を見て歩きましたが、そういうものに照らして、じゃあ、日本の僕らの特性は何なのっていうことをお互いに感じ合っています。今回のこの住居が、機械文化がどんどん進んでる中でも、土地ごとの自然なあり方をもう一歩創造の中で見定めて、それと合う、呼吸し合う、住居や場所、あるいは空間がどんなものだろうということを、探るひとつになるのかなと思うんです。

宗像 それは、通常では発信しにくい部分だと思うんです。基本的に私達がつくっていく日本のまちなみや文化には、今までのものを継承する部分と、何をこの時代から発信するかという部分があり、今は、点で動く仕事です。私達にご依頼頂いたお客様の仕事をこれから仙台周辺に点で置いていく仕事からまずスタートです。でも、その次に私達が何をやっていきたいか?それは安全と安心と品質です。私たちは、開発という言葉で、土地を考えていくんではなくて、そこに住みたい人達と一緒に住める場所も探したりとか、自然との接点がどこで作れるかとか、そういうような場所を一緒に探しながら、自然と共生をしていく。その原点て多分、先生から頂戴した著書(※3)にある訳ですね。ご自宅の前に何も無かった所に、おうちが建ってきて、気が付いたら最後は先生のおうちの前だけが林に囲まれてたっていう話です。

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益子 僕は東京で東京中心に建築の設計やなんかの活動をしている一人ですけれども、どちらかというと、東京みたいな場面は、観念的にやってしまう所がある。今お話があったように、それぞれの地元、地方、それぞれにおいての生活って何なんだろうっていうことを応答しながら、設計のあり方、建築の構想のあり方を見定めていくということはものすごく重要なことなんだろうと思うんです。ラボットの活動がそういう所の基盤を見据えられようとする所に、僕はすごく、大きなこと、大事なことなんだなと思いますね。

宗像 そうですね。ただ、単純にもの自体が高価な材料だとかではなくて。どこまでやらなくちゃいけないか悩むところがあるんです。ある意味耐用年数の部分も響いてくると思うんですよ。僕が30歳に戻ったとして住む。その時、おうちが素敵で耐用年数がまだまだ元気だったらば、多分そのうちにもう一回、別な新しい使い方を加えて、次の世代まで生かす。デザインはきっちりと生きるのに、作り手がいい加減な為に無くなっちゃうことは、すごく寂しいことだと思うんですよ。例えば僕は車が好きだけれども、その年代で格好良かったものって今見てもきれいですから。

益子 うん、真剣に取り組まなくちゃならないね。

宗像 いいものとして使い込めるということは、私達がこれから循環型社会の中で一個作ったものの命をどこまで延ばしてあげられるかということ。寿命を延ばすには、基礎体力をやはり付ける必要がある。平成19 年に完成してスタートを切っていったラボット仙台が、現スタッフの次の代に経った時にも僕達が仙台に乗り込んできたバイブルとして残っててもらわなくちゃいけない。

益子 なるほど。その辺りで言うと例えばひとつの建築として住居の強さっていうのは、一方ではもの自身が持っている確かさや堅牢さや”ものの強さ”っていう側面、あともうひとつは生活の”場の強さ”っていう側面がありますね。生活の場っていうのは色々デザインと共に変わっていく部分もあるように思いますし、色々住居や何かをつくっていて、結局その中で大切なものは何かって考えると、人の居場所の心地よさっていうか確かさみたいなもの、ちょっと不便だ便利だなんてこと。さらには、そのもっともっと根っこにある、人がいて心地よく安息できるっていう場の骨格って何なんだろうっていうあたりのこと。その辺りがうまくつかめれば、短い周期で住居が消化されるのではなくて、人の居場所として確かなものになっていくかもしれないし、そのことに対しては、長年、素材も含めて、よりしっかりしたものでありたいという部分があると思います。

宗像 すぐ何でも大好きな車の例えになりますが、例えばアウディって車があってね、それはベーシックモデルがしっかりしている。でも、一個一個パーツを極めることで、多くのバリエーションがある時に、同じ形状だけれども出来るだけ最上級側に近いスペックもご用意して、”ここまでいけるんだ”っていえるもの。おうちでいえば”見た目はそんな変わらないかもしれないけど、何かいいね”っていうような部分。先生が今このおうちに注ぎ込んで下さったものを、僕らが今度つくり手側として、それを具現化していくにはここまで使っときたいとか。商品に対するクオリティの与え方を、企業が、どこまで大切にしているかはとても大切な部分だと思います。その時のベーシックな部分で組み上げる所は、通常よりはきっちりとした骨格を持っててもらいたいし。そういう意味では今回、制震ブレースを入れて、地震の不安を持ってる仙台エリアのお客様に見てもらえるような形をつくりました。これからラボットが発信していく時には先生と共に、我々が向いているベクトルに沿った部分で一緒に考えて進みたいと思っています。

益子 そういう交点を、見つけていくことが大事なんだろうと私も思います。

宗像 環境に対する問題であったりとか、使う素材の問題であったりとか、釘・金物を使わないおうちの耐久性の問題であったりとか、我々は”Laboratory / Otto”つまり八光建設の研究室として色んな情報を得ている。もっとそれをお伝えしながら、コミュニケーションを深めていく。そういう方向に行けるようになりたいとは思います。

益子 その辺りは例えば、この間郡山の里の方にご一緒した時、宗像さんがこういうところをとてもいいと思っているんだと分かる。あれは場所を見つめるっていう一つの例ですけど。そんな応答が、具体的なきっかけになり、次のステップを探し出していく拠り所になるんだろうと思うんです。

ー 最後に、ラボット仙台に訪れたお客様、この対談を読んでいるお客様に一言。
益子 その土地と人を結ぶ、どんな風に新鮮な形で結べるのかという、別な意味で僕はお仲人みたいなものです。漠然とただそこにポンとものを作るというのも、せっかくそこに生活を定着させて、活動していく場面で、その土地がより新鮮に活きる在り方。これはひとつの例ではあるけれど、その土地柄や場所柄の何か隠れている良さを、すくい上げて住まう人に結んでいくようなことが、このラボット仙台で体感出来ればいいですね。

宗像 私達は、色んな形でコンシェルジュの役割を果たし、コミュニケーションをとれれば嬉しいと思っています。お客様と一緒に、建てる土地に行って、その自然条件、近隣の状況を、担当の営業とか設計が見ていく。そんな所から入っていきたいと思うんです。つまり、私達はお客様とフランクなコミュニケーションをとらせて頂きたいということですね。私達との距離感というのはお客様に決めて頂き、私達へ望んでいることに対してはどんどんお応えしていきます。ラボット仙台は益子先生に計画して頂いて、地元の職人さん達が具現化させてきました。それを味わって頂きたいので、是非お気軽にお越し下さい。


*1 梅沢 典雄:岡田新一事務所で横浜労災病院を始めとした様々な建築を担当した後、自ら事務所を設立し、関東中心に活躍する建築家。

*2 広瀬 鎌二:1922 年、神奈川県生まれ。1966 年武蔵工業大学教授に就任、後同大名誉教授となり、広瀬研究室開設。肆木の家Ⅱを設計。

*3 家ってなんだろう:平成16 年・(著)益子 義弘(出版)インデックスコミュニケーションズ 家とはなにか、その基本的な世界をふつうの言葉とシンプルな絵によって伝える。


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益子 義弘

ラボット仙台・設計担当
東京藝術大学名誉教授
1940年東京都生まれ。東京芸術大学大学院修士課程修了。永田昌民とM&N設計室を開設し、建築家として活動。東京芸術大学教授。主な作品に「江古田の家」「箱根の家」など。ラボット仙台の設計担当者。

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宗像 剛

八光建設株式会社
代表取締役社長
1957年福島県生まれ。武蔵工大建築学科卒業後㈱岡田新一設計事務所、㈱鴻池組を経て八光建設株式会社に入社。社長就任後、民間受注体制強化の為ラボットを立ち上げ今に至る。

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